1963年のフランクフルト・ショーで発表された600(W100)はまさに特別なモデルでした。第2次大戦前の1930年代、アドルフ・ヒトラーを始めとするナチス高官たちに愛用され、日本の皇室でも使用されたグローサーメルセデス770Kの再来とまで言われたこの600は、「特別な顧客のための特別なモデル」として完全な受注生産形式がとられたのです。シャーシはホイールベースが3200mmと3900mmの2種類が用意され、ボディスタイルとの組み合わせでVersion-A〜Dの4種類が基本仕様となっていましたが、各種装備を含めてどんな仕様でも特注できたので、実際には無限のバリエーションがあると言えます。
Version-A (Limousine)
ショートホイールベースの4ドアであるリムジーネ(リムジン)。パーソナルユースを前提としたストック仕様をベースに、パーテーションや小物入れを兼ねたカウンターなどの取り付けも可能。座席数は5座が基本ですが、後席をセパレートの2座または大型の1座とした計3座もありました。
| Version-B (Pullman)
ロングホイールベースの4ドアで、通称プルマンと呼ばれます。リムジーネと同様の3、4、5座もありますが、車体中央に後席と対面する折り畳み式シートを備えた3列(6または7座)が基本です。
| Version-C (Pullman-6Door)
プルマンの6ドアバージョンで、2列目の座席は4ドアのプルマンと異なり前向きになっています。
| Version-D (Landaulett)
4ドアのプルマンをベースに、ルーフ後端の1/3のみを折り畳み式の幌としたランドーレット。通常のカブリオレとは異なり、VIPのパレードなど特殊な用途に用いられるフォーマルなスタイルで、2列目座席以降のルーフ2/3を幌とした6ドアのスペシャルバージョンもありました。 |
600に搭載されたエンジンは全て共通で、300SEL-6.3にも搭載されたMB初のV8エンジン「M100」です。このM100は90度バンクのアルミブロックを備え、排気量はボアφ103/ストローク95mmの6332cc。最高出力250ps/4000r.p.m.最大トルク51.0mkg/2800r.p.m.を発生し、仕様によっては3トンを超える巨体の600を、200Km/hオーバーで走らせる事が可能でした。
サスペンションはコイルではなくW109で採用されていたものと同様のエアサスを備え、エンジンから直接駆動されるコンプレッサーと、前後車軸にあるセンサー・バルブによって自動的に車高調整するようになっていました。このエアサスは運転席からマニュアル操作する事も可能で、段差を乗り越える際には50mm車高を上げることができます。またショックアブソーバーはハイドロ・オイルをポンプで送り込むようになっており、こちらも室内から硬さを調整できるようになっていました。
600は1960年代の車としては考えられないほど、快適装備が充実しています。パワーウインドウ、パワーステアリングはもちろんのこと、全席のシート調整、ハンドル調整(伸縮のみ)、トランクフードの開閉、スペアタイヤの昇降までもがオートマティック化されていました。しかし驚愕すべきはこれらの制御に一切モーターが使われず、全てハイドロ(油圧)ポンプによって行われているという事です。エアコンは前/後席に独立して備え付けられ、また前席中央にはエアコンの送風をセンターコンソールからダクトで導いて保冷、保温する冷/温蔵庫が装備されていました。そのほか特注できる装備は数知れず、受注体制そのものが「シャーシー/ボディ形状の変更以外はどんな注文にも対応可能」というものだったため、防弾ガラス、無線、電話、テレビ、オーディオ、折畳みテーブルなどありとあらゆるオプションが用意され、既製品で対応できないものに関しては、工場で職人が一点づつ部品を製作して取り付けられました。
モデルチェンジサイクルの長いMBといえども異例な、20年弱という長期間に渡って生産された600ですが、さすがに基本設計の古さは隠せず1981年6月には生産を終了します。80年代初頭はオイルショックの影響で、より経済的な車が求められた時代でもあり、同クラスの後継車種は存在しませんでした。600の総生産台数は生産期間の長さに反して僅か2500台に過ぎず、この数字こそまさに600が「特別な人のための特別な車」であった事を物語っています。
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