発売時参考価格(万円):'84年190E(540)、'85年190E2.3-16V(915)、'87年190E2.3-16V(870)、'92年190E(490)
Chassis Data |
全長 (mm) |
全幅 (mm) |
全高 (mm) |
ホイール ベース (mm) |
トレッド (mm) |
サスペンション 形式 |
重量 (kg) |
4450 4544 (EVO2) |
1690 1705(16V) 1720(EVO2) |
1375 1355(S-Line) 1360(16V) 1340(EVO2) |
2665 |
F:1430 1475 (EVO2) R:1415 1455 (EVO2) |
F:ストラット R:マルチリンク |
1230 〜1350 |
Engine |
190E |
190E 2.3-16V |
190E 2.3-16V EVO1 |
190E 2.3 |
190E 2.6 |
SOHC.直4 1995cc 115ps |
DOHC.直4 2299cc 185ps |
DOHC.直4 2299cc 195ps |
SOHC.直4 2297cc 135ps |
SOHC.直6 2597cc 165ps |
190E 2.5-16V |
190E 2.5-16V EVO2 |
190D 2.2 |
190D 2.5 |
190D 2.5 Turbo |
DOHC.直4 2498cc 200ps |
DOHC.直4 2463cc 235ps |
SOHC.直4 2197cc 72ps |
SOHC.直5 2496cc 90ps |
SOHC.直5 2496cc 125ps |
1983年(日本発表は1984年)に登場したW201はMB史上もっともコンパクトなセダンでした。201の登場に伴い、それまで俗にコンパクトと呼ばれていたモデル(114、123など)はミディアムクラスとなり、全く新しいコンパクトシリーズが誕生したのです。201は190シリーズと呼ばれる通り、排気量の違うエンジンが搭載されていても全て190E(D)というモデル名なのも特徴の一つで、それだけMBが「190」という新しいシリーズをアピールしたかったであろう事が伺われます。そもそも2.0Lエンジンを搭載していながら190というネーミングを与えられたわけは、同時期にW123で200というモデルが存在したためでしたが、結果として190という今までにないモデル名が、この新しいシリーズを強く印象付けることになりました。
ボディサイズの小さなセダンは、市街地の道路が非常に狭いヨーロッパで最も求められていましたが、結果として日本の5ナンバー枠に収まった201は、日本でも当然のごとく発売当初から高い人気を誇りました。201の開発にあたって世界最高の小型車を作ろうとしたMBは、過剰とさえ言えるほどの剛性を備えたボディを与え、リアをハイデッキスタイルにするなど、今までのMBにはないボディフォルムでまとめあげました。また足回りには人々を驚愕させたMB初のマルチリンクサスペンションをリアに採用し、エンジンは201の為に新たに設計された2000ccSOHC直列4気筒を採用。環境問題に積極的に取り組み始めたメルセデスのまさに意欲作と言うべき完成度の高さを誇りました。またこの優れた車体国「は、レースカーのベース車両になることを念頭において設計されたものでもあり、メルセデスのレース活動復活の狼煙として、80年代のドイツGT選手権で多くの優勝をMBにもたらしました。
発売当初はこの2Lエンジンを搭載した190(キャブ仕様)、190E(インジェクター仕様)、190D2.2だけでしたが、85年には190D2.5と190E2.3-16Vを追加。2.3-16VはW123に搭載されていたSOHC2.3Lエンジンをベースに、レース活動で有名なコスワース社がヘッドチューンを施した185ps(日本仕様は175ps)を発揮するDOHC4気筒で、足回りにもスポーツチューンが施されていたほか、マニュアルミッションも用意されていました。またこのモデルは発表前の1983年8月に、南イタリアのナルド・サーキットで耐久スピードの国際記録への挑戦が試みられ、見事に世界記録を樹立しています。2.3-16Vの誕生と同時にそのホットバージョンである2.3-16V・EVOLUTIONも誕生しており、このモデルはドイツGT選手権のホモロゲーション用としてDTM規定台数である500台が限定生産された市販車で、フルエアロに5速マニュアル・ミッション、ハードなサーキット向けのサスペンションなど、メルセデスの中では特異なモデルといえる存在でした。
その後シリーズは直6-2.6Lの190E2.6や2L、2.5Lのディーゼルモデルなどを追加。2.3Lエンジンを搭載した190E2.3もラインナップされますが、こちらに搭載されていたエンジンは2.3-16Vのものとは異なり、SOHC4気筒でした。またエントリー機種という位置づけで、アンファングというマニュアルミッションでパワーウインドウさえ装備していないモデルも用意されていましたが、このアンファングは特に支持を受けることもなく、徐々にラグジュアリーなモデルへとラインナップが移行します。89年からはスポーツラインというバリエーションも各排気量で誕生し、トレッドが前後ともに10mm拡大されるとともに、スポーツショックを組み合わせて全高も20mm低くなっていました。そのほか主に内装を充実させたエレガンスラインも存在します。
88年には2.3-16Vも200psを発揮する2.5-16Vへと進化。コスワースによるヘッドチューンのみならず、シリンダーブロック、クランクケース、エキゾーストマニホールドなどエンジンの主要部分のほとんどが新設計となりました。そして1990年のジュネーブ・ショーにおいて、最強の190Eである2.5-16V・EVOLUTION2が登場します。85年登場のEVO1よりさらに過激になったエアロパーツで身を固めたEVO2は、巨大なリアウイングと17インチホイールを装備し最高出力235psを発揮。EVO1と同じくDTMのホモロゲ獲得用に生産されたため、生産数はDTM規定台数の500台と少なく、稀少価値のある存在となっています。
生産年による違いの少ない201ですが、89年後期よりそれまでの樹脂製モールからサッコ・パネルを装着したボディへと変更され、これを境に前期、後期に分けられます。その他では前後バンパーの拡大、シート形状の変更、不評だった前後シート間隔の拡大(約20mm)、インジェクターの変更(KジェトロからKEジェトロへ)といった違いはありますが、エンジンも含めて基本的な告ャにさほど違いはありません。また92年より運転席側エアバッグが標準装備されました。
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